どんな場合も例外はあるが、
タブローに比べて版表現の方が作家の思考がはっきり見える。
たとえば、キャンバスに絵の具をおいていく油彩表現の場合、
そのほとんどが始めにおいた一筆が最後まで残ることは稀である。
もちろんこの場合でも例外はあるけれど。
片や版表現の場合は、たとえば、銅版画であればその最初につけた傷は
刷り上げた時には一番手前に表出する。
版として作られたものはすべてを支持体である紙に
包み隠さず暴かれることになる。
故に、作者の思考の跡は一瞬の「刷り」という行為において
白日の下に晒される訳である。
ここが、タブローとの大きな違いである。
包み隠さず見せてしまう、それが版画である。
作者の思い、性格、はたまた人格のようなものまでさらけ出してしまうのが
版画である。
少しオーバーかもしれないが、そんなところの潔さが私は好きだ。
版画のことを間接表現などと言うことがあるが、
それはシステムの問題であって、
作家の表現が間接的になることではないと思う。
だから、版画は面白い。
そして、恐い。