作品はひとたび完成してしまうと
作者の手を離れ、自立する。
第三者によって展示されても作品として成り立つものだと信じている。
またそうでなければならないとも思う。
もちろん例外もある。
たとえばロスコのように生前から自作の展示の際には
他者の作品を隣に置くことを禁じたような場合や
インスタレーションのようなものは別の話である。
しかし、そのようなものでさえいったん作者の手を離れてしまえば
その所有者や美術館のキュレーターなどに任されてしまう。
時には作者の意図とはかけ離れるかもしれない。
それでもよく見える場合はその作品に力がある訳で
もしかしたら、他者が関わった方が良い時がある。
作者は制作と同じくらい展示にも気をつかうものである。
しかし、もう一度言うが、他者が関わった方が良い時もある。
自分のギャラリー空間に自信と誇りを持っているオーナーや、
展覧会の理念をはっきり打ち出している美術館キュレーターには任せてみると
自分では気づかなかった側面を発見することが多々あり、おもしろい。
僕が作っている版画のような場合は尚更である。
額装の段階からギャラリーや美術館が行うことが多いので
それだけで、いつもとは違った表情を見ることが出来る。
何度も書いたが今回横浜での展示はすべて自分のプランで行った。
ヘタな額縁まで自作した。
それはそれで楽しいことではあるのだけれど
自分の意思が強く出過ぎて
見ている人に作品の中に入る隙を狭めているようにも思う。
難しい問題だけれども良質なギャラリーや
生きのいい美術館の展示を見ていると
そんなことをいろいろと考えさせられるわけです。
■今日も雨